回顧録



「一度、刹羅に帰ろうと思う」

 バルドがいきなりそんな事を言い出したのは、あともう少ししたら暗冬の準備も始めなければ、と言う話を始める頃だった。

「刹羅へ……って、どうしたんだ? いきなり」
 藪から棒にそんな事を言われて、戸惑いつつ聞き返すコノエに、バルドが少し浮かない表情でこの間手紙が来ただろう、と切り出す。
「それに書いてあったんだが……母親が少し臥せってるらしいんだ」
「臥せってるって……バルド、それって」
重い病なのか、と少し表情を青くするコノエに心配するなと笑みを浮かべる。
「そうじゃないが、ただ多少長引いてるらしい。……まあ、大丈夫だとは思うんだが……」
「……そうなのか? でもそれ、寧ろ急いで帰った方が良いんじゃ」
 大丈夫、と言いながらどこか心配そうに眉を顰めているのを見て、コノエは焦ったようにそう促した。
「いや、本当にすぐに如何こうって訳じゃない。……けどまあ……あれだ。母親もいい年だし、一度は帰っても良いだろう、と……思って、な」
「……うん、それが良いと思う。バルドのお母さんもきっと喜ぶよ」
 何処か照れくさそうに言い澱むバルドに、コノエはそう返すと了承の意を示すように頷いた。
「期間としては大体一週間位だな。店を閉める準備もあるから出発は2・3日後ってとこか。お互い野宿も久々だから色々用意しないとダメだろうし」
「え」
「ん? どうした?」
 驚いたように目を丸くして声を上げるコノエに、バルドはコノエの顔を覗き込むように何か変なことを言ったか、と聞き返す。
「ってさ……お互いって、もしかして俺も一緒?」
 何処か恐る恐ると言った風情のコノエの問いかけに、バルドは何言ってんだ、と言う顔で一瞬動きを止める。
「当然だろうが。あんたも行くってもう言伝してあるしな。あんたも行きたくない訳じゃないだろ?」
 もしかして行きたくなかったのか、と訝しむバルドの言葉に、コノエは勢いよく首を横に振った。
「い、いやそりゃ行きたいけど。でもアンタ、刹羅とか俺を連れて行きたくなさそうな感じだったし……だから、てっきりバルド一匹かと……」
 てっきり自分は留守番させられるのかと思った、ほんの少し耳を伏せながらそんな事を呟くコノエに、バルドは流石に心外そうに眉を顰めてそんな訳ないだろ、とあっさりと返した。
「……そりゃ確かに昔の話とか色々吹き込まれそうではあるんだが……でもまあ……そこは目を瞑っておく。正直一週間もあんたなしで一匹とか、そっちの方が耐えられん」
 さり気に言われたバルドの言葉に、コノエの顔が思わず赤くなる。
「……ん? どうした、コノエ?」
 アンタがさらっとあんな歯の浮くような台詞を吐くからだろう、等と言えるわけがない。
「いや、なんでもない、気にするな」
 何かあるのかと不思議そうに覗き込んでくるバルドに、コノエは慌てて首を横に振りぎこちなさを誤魔化すように早口で言葉を続けた。
「じゃ、じゃあ色々準備しないと駄目だよな。宿ももう明日から閉めるのか?」
「今居る客が出立したら、だな。なんで、一応宿は明日から休みの札を出しておく。宿の戸締りやらなんやらやることは一杯だからな。明日から少し忙しくなるぞ」
「判った。じゃあ、俺も頑張って手伝わないとな」
 楽しそうに尻尾を振って笑うコノエは機嫌が随分良さそうで、バルドは少しほっとする。
 もしかすると刹羅への帰省に自分が一緒ではない、とコノエが思い込んだのは、単に宿を閉める事に関して渋っているかも知れないと思ったのだが、それはどうやら徒労だったようだ。
「ま、とりあえず今日はもう休んで、細かい事は明日以降にまた決めよう。確実に数日は野宿する事になるから、体調も整えておかないとマズイしな」
「そうだな、折角の里帰りだもんな。バルドのお母さんに心配かけないようにそこは万全で行かないと」
 うんうん、と頷くコノエはやはり上機嫌で、その後一緒に眠る時など、珍しくもコノエの方から寝台に引き込んでくるという所業まで見せてくれた。
 本来なら此処で『うっかり』バランスを崩して押し倒してしまう所なのだが、小旅行とは言え久々の旅を前に、流石のバルドもコノエの体調や機嫌を損ねるような真似をする気にはなれない。
 そう思い、バルドはぐっとその衝動を堪え毛布に潜り込むと、コノエをぎゅ、と抱き込むだけに留めた。
「お休み、コノエ」
「ああ、お休みバルド」
 額に軽くキスを落として目を閉じるバルドを見上げて、コノエの口元が僅かに緩む。

 正直こんなあっさりとバルドの故郷に自分も連れて行ってもらえると思わなかった。
 もしかしたら、帰省する日が来ても自分は連れて行って貰えないんじゃないかなどと少し考えてしまっていただけに、胸にじわりと嬉しさがこみ上げてくるのが解り、顔はどうしてもにやけてきてしまう。

 ――――バルドの生まれ育った所、か。


 ああ、早く出発できればいいのに、とその日を心待ちにしながら、コノエはその大きな胸に寄り添い目を閉じた。

バルコノの刹羅帰省本です。基本いちゃいちゃしています。