片恋の歌


 とある街の郊外に、ひっそりと佇む一軒のカフェがある。
 料理が美味くスタッフも親切で、口コミでかなりの人気を博している店だ。
 その日も沢山のお客を迎え、閉店間際までそれなりの賑わいを見せていた。

 そんな日の、閉店後のこと。

「コノエ、疲れているところを悪いがちょっと良いか」
 後片付けや掃除まで済ませて帰ろうとしたところに、店長であるバルドがいきなりそう言ってコノエを手招きした。
「ん? なに?」
「ああ、少し話したい事があってな」
 他は上がって良いぞ、と周りに告げながら厨房を出てバックスペースでなくフロアに向かうバルドに、コノエはほんの少し不安げに耳を下げる。
 何か客から苦情でもあったのだろうか、そんな風に思いながらバルドの後を付いて行くと、バルドは苦笑いでまあ座れ、と椅子を引いた。
「あ、ああ……」
 落ち着きなさげに尻尾を振ってゆっくりと座るコノエに、バルドは向かい合いそう緊張するな、と声をかける。
「あれだ、リンから話を聞いたんだが」
 バルドはほんの少し言い辛そうに前置いて、続いて言った。
「あんた、なんか客の一匹によく絡まれるんだって?」
 その言葉に、コノエの耳が驚きにぴん、と立つ。
「え、ええと……あ……うん……少し絡まれるって言うか……声かけられるっていうか」
 返すコノエの返事もかなり言い辛そうではあったが、それでも頷くとバルドは少し溜息を吐いた
「……あ……もしかして、それで、お客さんに何か言われた……?」
 恐る恐る問いかけると、バルドは首を横に振った。
「そういう訳じゃないが、昨日はいきなり尻尾掴まれたらしいな。結構やばかったんじゃないのか?」
 今度は尻尾までピンと跳ねるくらい動揺して顔を伏せる。
 バルドの言うとおり、確かに昨日常連客の一人にいきなり尻尾を掴まれ、もう少しで手を出しそうになってしまった。
 すぐに事情を察したリンが対応してくれてその場は事なきを得たが、持っていた食器を取り落としそうになったし何より下手をすれば客を怪我させてしまう所だったのだ。
「あ、あの……その、ごめん」
 すっかり萎縮して肩を落として呟くコノエに、バルドが首を横に振る。
「だからそういう事じゃなくてな」
 ぽん、と頭に手を置いて、慰める様にそっと撫でる。
「そんな顔をするな、別に責めてるわけじゃない」
「で、でも……俺、手を出しそうになって……お客さんちょっと吃驚してたから……」
「みたいだな。リンが注意してくれたらしいが……そこは何も言われてないから大丈夫だ」
 その言葉に少しほっとしたのもつかの間、だが、とバルドはコノエに顔を近づけて声を潜めた。
「でもな、コノエ。それならそれで、なんでもっと早く俺や皆に相談しなかった」
「え……」
 思わず目を瞬かせるコノエに、バルドは溜息と共にじっとコノエの目を見詰めた。
「コノエは大丈夫って言うけどちょっとエスカレートしてるみたいだから、ってリンが心配しててな。客を不快にさせないってのは確かに大事なんだが、素行の悪い客に対して我慢しろって訳でもないんだ」
「で、でも……騒ぎになったら、困るだろ……やっぱり」
「それでも、結局困ってるんだろ? 実は」
 その問いに、コノエはぐっと言葉に詰まる。
「……まあ、少し」
「じゃないだろ、その様子じゃ」
 少し呆れた様子でばっさりと言い切ると、コノエの隣に移動してゆっくりと腰を据えるように座りなおした。
「コノエ、絡まれるようになったのって何時ごろからだ?」
「え、えっと……一月くらい、まえ?」
 コノエは出来る限りの記憶を呼び起こしてそれを告げる。
「ふむ……何か声を掛けられたりしたのか?」
「う、うん……。可愛いとか触らせてくれとか……色んなお客さんによく言われてたけど……でも、あのお客さんだけけっこうしつこくて……」
 何度も何度もコノエに執拗に声をかけてはデートしようだの尻尾や耳に触らせてくれだの言われ続けたのだ。
 その度に誰かに助けてもらったりやんわりと断ったりで何とか凌いでいたのだが、とうとうと言うべきかコノエが他のお客に呼ばれた隙をついて尻尾を触って……というより掴んできたのだ。
 コノエは声も出ないほど驚き、思わず爪を出して振り返りざま手を振り上げようとしてしまった。
 その寸前でリンが気付いて飛び出して来てくれたが、これでもし止められず振り下ろしてしまったら、と思うと洒落にならない。
「成程な……」
 苦い表情でぽつりと呟くバルドに、コノエはやはりしゅん、と耳を下げてしまう。
「……や、やっぱりその……俺、拙かったのかな……」
「……そうだな……あんたが悪いわけじゃない、これは確かだ。だからそんな顔をするな」
 あまりに萎縮するコノエに、バルドは表情を緩めてぽんと頬を撫でる。
「でもあんた、ちょっと無防備だからなあ……リンの話だと、また来る感じだったらしいし、気をつけた方がいいのは確かだな」
「無防備って……」
「だからな、もし次来たらこっちに言え。何とかしてみよう」
「え、でも……」
「そうやってずっと付きまとわれてりゃ仕事にならんだろ? 実際」
 反論しようとするコノエの言葉を遮り言うと、コノエは確かに、と苦い表情で返す。
 忙しい最中呼ばれて暫く放して貰えないこともしばしばだったので、仕事にならないと言われれば否定が出来ない。
「遠慮とかもあるのかも知れんが……俺達に力になれることがあるなら協力するつもりだ。だからもうちょっとお前は頼る事も覚えろ」
 珍しく真剣な表情で言い含められ、コノエは内心驚きながらも判った、と小さな声で頷いた。
「じゃ、そういうことで今日はもう上がろう。……そうだコノエ。腹減ってるだろ、源泉のところでラーメン奢ってやるよ」
「え? い、良いよそんなの悪いし」
「良いって良いって。こっから先は仕事じゃなくて馴染みの仲ってことで」
 軽い笑みを浮かべつつさらりと言われ、コノエは知らずに緊張で強張っていた肩の力が抜けていくのを感じる。
「馴染みって何だよ」
「馴染みだろ? あんたとの付き合いだって短いわけじゃないしな」
「そりゃまあ、言われればそうなんだけど……」
「まあまあ、何でも良いから取り合えず行くぞ。俺も腹が減ったし」
「……あ、ああ……判った」
 コノエの言葉を封じそう促すと、コノエもそれに従い二匹で店を後にした。

キラルカフェのバルコノ両片思い本です。この二匹がどうにかなるのは何時の日か。