you're the only melody




声が、聞こえる。

だいじょうぶ。
だいじょうぶ。

一匹でも―――――だいじょうぶ、と――――




森の中に、一匹の魔術師の猫がいました。
誰も居ない森の中の誰も居ない家で、ずっと一匹で暮らしていました。
一匹でしたが、魔術師には魔法がありました。
魔法で何でもできました。
掃除も、ご飯も、洗濯もです。
だから、一匹でも困りません。
ご飯も一匹、研究も一匹。
誰にも、何にも邪魔をされない、一匹の空間。
ねぐらから滅多に出る事もなく、ただ自分の研究に明け暮れる異端の猫に、周りの猫は不気味がります。
「よく判らない事をしている。誰とも喋らない、猫嫌いの猫が居る。」
「何をしている猫だろう?良くない事でもしているのだろうか。」
「きっと良くない事をしている。…不気味で、悪い猫なんだ。」

けれども、魔術師の猫はそんな言葉に耳を塞ぎました。
何を言われようとも、良いのです。
自分のしている事の邪魔さえされなければ。

そう、一匹でいい。
一匹でも、大丈夫。
他の猫の声なんて、姿なんて、匂いなんて―――――そんなものは、知らない。
如何でも、良い。

魔術師は、そんな風に、たった一匹で長い長い時を過ごしました。









けれどもある日、そんな猫の前に一匹の猫が現れました。
森の中迷い込み、気紛れで助けたあかい色の猫。
「ありがとう。私はシュイ…うたうたいだ。君の…名前は?」
名前。
そんな事を聞いてきた猫は、随分久しぶりだと魔術師の猫は思います。
自分の名を呼ぶ猫なんて、もう長い間居なかったのですから。
うっかり自分の名前を忘れてしまっても可笑しくない程の長い時間…それでも辛うじて自分の名を覚えていられたのは、魔術に必要だったから―――それだけの事でした。
「…リークス、だ。」
久しぶりに、魔術以外で自分の名前をあかい猫に告げます。
これも、ほんの気紛れでした。
「リークス…」
あかい、うたうたいの猫は、なぞる様にゆっくりとその名を唇に乗せました。
―――――とてつもなく、美しい声で。
その瞬間、魔術師の猫の中にぞくりと背筋が震えるほどの衝撃が走りました。
それが一体何なのか、まるで解りませんでしたが、魔術師は確かに一瞬、動けなくなったのです。
「ありがとう、リークス。」
にこりと笑って手を伸ばす綺麗なあかい猫から、何故だか目を逸らす事も出来ないまま、その手を知らぬ間に受け取りました。

その日から、魔術師の猫は一匹ではなくなりました。

誰かの作ったご飯を、誰かと一緒に食べて。
誰かと一緒に、お茶を飲んで。
誰かと一緒に、部屋で話して。
誰かと一緒に、長い時間を共に過ごす。

魔術師が生きてきた長い長い時間の中で、それは初めての事でした。

「今日も楽しかったよ、ありがとうリークス。」
そう言って、にこにこと笑ううたうたいの猫の気持ちが、魔術師にはまるで解りません。
けれども――――彼が帰る頃、いつもほんの少しだけ、心に隙間風が吹くような気持ちがしました。
どうしてなのか―――幾ら考えても魔術師には解りません。
猫が一匹部屋から居なくなっただけ、それだけの事なのに。

いくら考えても、何時まで経ってもやっぱり解らないまま――――それでも、魔術師とうたうたいの猫はゆっくりと仲良くなっていきました。

そう、うたうたいの猫が、突然魔術師の前から消えてしまって―――――裏切って、棲み処と森を燃やすまで。

「――――リークス!」

燃える森の音に重なる、綺麗な声。
綺麗なだけの、声。
―――もう、如何でも良い、声、だ。


そうして、うたうたいの猫がこの世界から居なくなって、魔術師はまた一匹になりました。
魔術師には魔法がありました。
魔法で何でもできました。
掃除もご飯も洗濯も―――――それどころか、世界を滅ぼす事も。
だからもう、困る事などありません―――――なにひとつ。

けれども、魔術師は何時も何かが足りませんでした。
何をしていても、何を考えていても―――――決定的に大事なものがたったひとつ、足りないのです。
「シュイ……」
名前を呼んでも、返ってくる綺麗な声は何処にもありません。
たったそれだけの事、なのに―――心臓がずきずき痛んで、なにひとつ出来なくなってしまうほどでした。

どうしてなのか、幾ら考えても魔術師には解りません。
一匹で良い、如何でも良い―――――筈なのに。
どうして。

どうして、こんなにも何かが痛いのだろう。

魔術師の目から、雫がひとつぶ、零れ落ちました。
どうしてなのか、それが何なのか、すら―――――魔術師には解りません。

今となってはもう、幻の様な暖かな時間。
その時間がとても大好きで、大事なったのだと認めないまま、魔術師はその感情を捨て去りました。

あかい、うたうたいの猫が遺した、小さなこねこのこころの中に。



そうして、時が過ぎた――――――――

本来テキストで読めていましたが、再録掲載のため、中間削除の上こちらに移動しました。